毎日歯磨きをしている現代人にとって歯磨きは生活習慣のひとつで至極当たり前の行為です。
ところが、歯磨きが習慣化したのは、実はつい最近のこと。
では、昔の人はどのように歯磨きをしていたのでしょうか?
昔の人は虫歯にならなかったのでしょうか?
歴史を紐解いてみましょう。
歯磨きが一般庶民に定着したのは江戸時代
塩で歯磨きの歴史
日本において歯磨きの歴史はそれほど古くなく、ほんの500年ほど前の戦国時代から始まりました。一部の上流階級が房楊枝(ふさようじ)という楊枝に塩をつけて歯を磨いていたと言われています。
一般庶民の当時の歯のケアと言えば、食事のあとにお茶やお湯で口をすすいだり、塩を指につけて歯をこする程度だったようです。
本格的に一般庶民に歯磨きが広まったのは、江戸時代初期の終わりから中期にかけての1625年、江戸の商人、丁字屋喜左衛門が発案し作って売り出したのがはじまりです。
歯磨き粉の主成分は、琢砂と呼ばれる物を磨くときに使われる細かい砂に、丁字や龍脳などの香料を加えたシンプルなもので「丁字屋歯磨」、または「大明香薬」と名付けられ、瞬く間に一般庶民に広がっていきました。
この時期まで庶民にはきちんとした歯磨きの習慣がなかったというのは驚きです。
昔の人々は虫歯にならなかったのでしょうか?不思議ですよね。
実は古代よりももっと昔の原始時代では、虫歯自体がなかったと言われています。現在のように砂糖もないなか、調理方法も焼くということしかなく、硬いものを食べていました。
硬いものを食べることによって、必然的に噛むことを余儀なくされるので、唾液の分泌が増し、口内の細菌を唾液によって洗い流され「酸」を中和していたものと考えられています。そのため太古の人々はほとんど虫歯にはならなかったとか?
ところが江戸時代ではそうでもなかったようです。
虫歯が原因で命を落とすことも珍しくない時代
江戸時代になると、歯痛や虫歯で悩む人は多かったようです。死亡原因のトップは虫歯を放置したことによる敗血症という説もあります。
江戸時代にも口中医という歯医者はいましたが、治療費が高く治療できるのは上流階級や富裕層に限られていました。またそんな裕福層の人たちも痛くなった歯は抜歯するしか術がなく、ヤットコのような抜歯器具で、麻酔もなしに引き抜く治療をしていました。抜歯で命を落とす方も珍しくなかったようです。
一般庶民はと言えば、神社で神頼みをする、梅干しを詰める、もぐさの煙を鼻から吸って口から出す、大根の汁を痛くないほうの耳へ注ぐなど治療とは程遠い手段を用いていました。
また現代よりも平均寿命が短かった時代なので、歯周病に侵される前に天命を全うした方も多く、長寿といっても40代~60代。40代後半で虫歯によって抜歯した方も多くいたようです。
文献によると、著名人では、
- 松尾芭蕉…48歳で弱る歯を詠んだ一句がある
- 杉山杉風(さんぷう)…44歳でがっくりと歯が抜け始めたと嘆く一句がある
- 小林一茶…49歳で歯が全部抜けてしまったという一句
- 曲亭馬琴(きょくていばきん)…50代で総入れ歯、61歳ですべての歯が抜ける
治療もままならない状態で、虫歯にならず健康に天命を全うするのは大変だった時代ですね。
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